曲を作っているとたびたび「おまえの曲って○○に似てるよな」って言われます.西森も言われました(向こうが作曲してるしてないにかかわらず).
この「他曲に似ていると指摘して評価する方法」って嫌われることが多いですよね.様々な場で見られるんですけど,一番顕著なのはYouTubeですかね.コメント欄漁っていくと山ほどあります.
これってなんで嫌われるの?ということを,「評価された側がどう受け取るか」ということを重点に考えてみました.
目次
受け取り方
パクったって言いたいの?
「既存曲を盗作したでしょ?」という受け取り方をしたパターンです.
パクりの話って音楽にはついて回りますけど判断難しいですよね.基本的に,既存曲と全検索すれば似ない部分なんかないと思いますが,その目についた特徴で評価されてしまったと感じるやつです.
安易にパクリと言われると,例えばその比較曲を知らなかったときはより一層の怒りがこみあげてくるわけです.「パクってなんかないけど!」と憤ってしまうんですね.
※言った側がそういう意図だったのかどうかは置いといて.
個性ないってこと?
「自分の曲には揺るぎない個性がある!」と信じている人にクリティカルヒットするパターン.
この評価は「個性ないよね」ということと同義になるので,自分が努力してきたことを否定されたような気がして怒りがこみあげてくるわけです.
前節のパクリにも通じる部分があると思うんですが,完全なる個性ってなかなかないと思うんですよね.平沢進みたいな異次元生命体であれば話は別ですけど.
理想的には様々な要素に分けて評価したほうがいいと思いますが,それがすべて「似ている」という評価に集約されてしまうのが火種となっている気がします.個性の一致についても一部なのか全体なのか分からないままですからね.
全然にてないけど?
曲の大きい要素,細かい要素どちらを考えても「全然似てない」というパターン.
向こうと自分が考えている要素によってもずれがあると思いますが,それも含めて「的外れな評価をされた」という受け取り方をしてしまうやつです.
まぁこれはあるかもしれません.例えば,自分ではクールでかっちょいい冷気属性な曲を書いたつもりが「湘南乃風に似てるよね!」って言われたら「あんなアゲアゲパリピちゃうわ!」ってなりそう.
○○嫌いなんだが?
そもそも比較された○○が嫌いなパターン.
作曲している人ってこだわりが強いので,嫌いな曲っていうのは必ず出てくると思うんです.そういった曲と「似ている」と言われたら憤慨することはなんとなく想像できます.
個人見解
西森個人としては,明らかな誹謗中傷でなければ「○○に似ている」という評価は別に問題ないと思っています.「音楽理論分かってない人の曲っぽいよね!」とか言われたら地の果てまで追いかけて殴りますが.
理想的には「サビのテンションにかかるメロディが複雑で最高だね!」とか「モード使ってるときの浮遊感好き!」みたいな要素に分解して評価してほしいですよ? 理想は.
ただ,作曲者かそうでないかに関わらず「物事を細分化して評価する」って別才能だと思うんですよね.人によっては「評価する言葉を持たない」方もいると思います.作曲してない方は音楽理論も楽器経験もない方が多いですし,細分化する要素すら分からないと思います.
西森は,異次元に高いレベルに遭遇したときは評価する言葉が出てきません.「すごい」「尊い」とかそんな感じになります.その延長線上で,特徴については「似ているかどうか」ぐらいの評価しか下せないと思います.無理に言葉をこねくり回したら,それはそれで伝えたいことが変質してしまうと思いますしね.
ただ,この評価方法が論争を生んでいることも事実です.評価側がどういうニュアンスで話しているのか分からないですし,人間ってネガティブワードに敏感なのでどうしても上記のような受け取り方をしてしまうと思います.
そういった意味で,西森は評価側に立つとき「○○に似ている」という評価はしないようにしています.「すごい好きです!」って言います.ただの1ファンの言葉って感じですね.
この記事はあくまで受け取り側に立ったものです.評価側がどう思っているかはさておいて,受け取る側として上記のような要素があるということ,いままでどう受け取ったかなど,考える機会となれば幸いです.
結局なにを言いたいか分かんなくなったな?
追記
Twitterで色々と議論がありました.下記ツイートのRTなどをたどると様々な意見が見えて面白いです.