定期ツイートをやめた話

定期ツイートって色々なところで運用されていると思うんですよね.創作物の宣伝に多く使われているのをよく見ます.サービスとしての代表例はtwittbotですかね.

2年ぐらい前,西森は自作プログラムで定期ツイートしてたんですよ.自分が作った曲動画のURL貼りつけてツイートしてました.

ただ,下記の記事を見つけてぱったりやめました.

こおろぎさんち

この中で,発信側として一番感じたのは「効果がない」ということですね.全くの無意味.ツイートしても1PV増えるかどうかレベルだったし,プログラム作った意味すら感じられませんでした.Twitter上でもなんの反応もありませんでしたしね.

発信する側だったころは「なんで伸びないんだ……毎日ツイートしてるのに……」という,ある意味,自傷に似た心持ちでした.上記記事を見て,いったんは「なるほど」と思って定期ツイートをやめたんですけど,たくさんフォローしている現状になって意味がわかりました.

言い方は悪いですけど「飽きる」んですよね.長くフォローしている人であればあるほど「もう見た」というのが積み重なってきて鬱陶しさが増してきます.

【過ぎたるは猶及ばざるが如し】とはよく言ったもので,何回も見させられてると見ていないものと徐々に認識してくるんですよね.Twitterなんて情報のナイル川なので,TL見ているときは溺れないように定期ツイートをサクサクと読み飛ばしていたように思います.飽き⇒無関心という心情の変化です.

西森自身,【定期】とか何回も流れてくるツイートから先をたどったことはほぼないです.今では,フォローから見る人を絞ったうえで,定期ツイートをツイートソースやキーワードでミュートしているので表示すらしてないです.

「定期ツイート見てないなんてひどい!」と言われてもまぁしょうがないと思います.ただ,発信した側としては「届かない」,受信した側としては「飽きる」という現状を知ってしまった今は,定期ツイートに関しては何もしません.

これってTwitterに限らないと思うんですよね.「過去の情報を定期的に発信する」という行為自体の本質だと思います.だから創作者は過去に依らず「いま」どう頑張れるか考えないといけない.もしくは,短期的に「○○作ったよ!」って宣伝するとかですかね.脳死での定期ツイートは最悪手という認識です.

まぁ結局何が言いたいかというと「西森は定期ツイートをしないし見ない」ということ,「定期ツイートの効果を考えよう」ってことです.